こんにちは
ぽっぷ もちもちです。
ヨンマルでの九州旅行4日目は鹿児島の霧島から指宿まで移動しました。
(下の写真の”5/2″のルート)
今回はその内容です。
当日の朝も
ホテルの硫黄泉とサウナを満喫し…
心身共に整い切った ぽっぷ もちもち
最初に向かった先は…
”うなぎ 末よし”さん
鹿児島はうなぎの養殖量No.1
愛知のうなぎと比較すべく、ベンチマークに行ってきました。
開店数十分前到着の気合ぶり。
お店の前でほどなく待ち、店内へ。
いきなり最高のうなぎを食べてしまうと気絶する恐れがあったため…
まずは肝焼きでウォームアップし…
うん、おいしい。
そして…
いざ、うな重
関西焼きと関東焼きの中間のような感じで少しパリッと、
そしてそこそこふっくらな焼き加減。
おいしかったです。
でも、正直な感想ですが、期待以下でした。
うなぎが思っていたより小さい…
値段がうな重 松(1匹)で2820円とたすかに安く、コスパは良かったけれども…
せっかく愛知から足を運んでいたこともあり、ガックシ…
少し期待しすぎたこともありますが、これだと愛知の行きつけのうなぎやさんの方が
値段も味もうなぎの大きさも勝利。
(皆さんのおすすめのうなぎやさんがあれば教えてください!)
とはいえ、せっかく来たので、
追いうなぎするぽっぷ もちもち 笑
期待以下ではあるが、鹿児島のうなぎを満喫しました。
うなぎの後は、指宿スカイラインを通って、
(ここは以前バイクできて、雄大な自然の中をダイナミックに走れてお気に入りの場所)
いつか行ってみたいと思っていた”知覧特攻平和会館”へ
神風特攻隊…
皆さんも絶対一度は聞いたことある言葉ですよね。
そう、戦闘機に乗ったまま、敵戦艦へ命犠牲にして体当たりする人たちのことです。
今から80年ほど前、二十歳前後の人たちが、ここ鹿児島の知覧飛行場から
神風特攻隊として戦闘に行かれました。
皆さんの20代前後は何をしていましたか?
僕は、高校卒業して大学進学していました。
当時を振り返ると、(今もそうですが、)全然未熟な子どもです。
そんな若い人たちがいのちを投げ捨てて、
敵戦艦に突っ込まなければならなかったと思うと…
恐ろしい時代です。
平和会館の中では、
特攻に行かれる若者が直前に親へ書いた手紙が多数展示してありました。
決してネガティブな内容はそこにはありません。
でも、彼らがこの手紙を書くときどんな気持ち、心理的状況で手紙を書いたのか、
想いを巡らしただけで、胸が締め付けられました。
個人的に、特に残っているのは
「今となっては何も言うことはない」という言葉。
これはすべてを受け入れる覚悟ができたということなのか…
自分の運命をあきらめたということなのか…
自分の人生に悔いはないということなのか…
そして親はその手紙を読んで何を思ったのだろうか…
もちもちにはわからない…
でも、誰一人として、特攻しなくていいのなら、したくなかったはず。
ここには、あまりにも残酷な…
しかし、目を背けてはならない過去がありました。
ぽっぷ もちもちは もうすでに、勇敢に特攻した彼ら以上生きています。
そして彼らにはなかった自由があります。
これから、
どう生きるのか
について深く考えさせられました。
この後、キャンプ場の予約をした開聞岳へ。
この開聞岳は特攻隊が、特攻に行く際に必ず通る山だったそうです。
彼らが特攻前に見た山が、その時と同じ形のまま、もちもちの目の前にもある…
無駄に生きるな…
そして、生を味わい尽くせ…
そんな声が聞こえてきそうです。
キャンプ場チェックイン後は、
速やかに設営して
買い出しとお風呂へ
お風呂は”ヘルシーランド露天風呂 たまて箱温泉”
名前がめちゃくちゃ怪しいですが、
評価は結構高く、
どんなものかと言ってきましたが、めっちゃよかった!
浴槽は熱めと普通の露天風呂2つのみ。
でもこの浴槽を侮ることなかれ。
海沿いに面しており、ぽっぷもちもちが浸かったときは、
ちょうど夕暮れ時で天気も良かった。
なので浴槽から見える水平線や夕日はまさに絶景で、
あっという間に1時間以上たってしまった…
料金も安くおすすめの場所です。
そしてお風呂後は買い出しして、
サクッと調理。
この日は唐揚げと磯ものを焼いてビールを流し込んで終了…
こうして身体で
鹿児島の食と自然と歴史を学んだのであった
つづく…